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乃木大将の副官を務めた陸軍中将 渡辺寿のぎたいしょうのふくかんをつとめたりくぐちゅうじょう

寄附された屋敷を示す碑

寄附された屋敷を示す碑

寄附された屋敷を示す碑
寄附された屋敷を示す碑
広い屋敷跡の一画
広い屋敷跡の一画

対象物の特徴・来歴等

 元陸軍中将従三位勲一等功四級、渡辺寿は大薮生まれ。家は代々勘右衛門を襲名する豪農でした。
 父の名は勘右衛門、母は今尾赤尾家の人です。寿はその四男に生まれました。勘右衛門の家はお手伝い普請で名高い宝暦治水の際三之手の出張小屋が設けられた家です。寿は17歳の時、陸軍幼年学校に入り、27年2月陸軍士官学校を経て陸軍大学校を卒業し陸軍歩兵少尉に。以後累進し大正13年8月陸軍中将に任官され、昭和4年8月に退官さし、予備役に編入した。
 軍人として初めて出陣したのは、明治27年日清戦役で小隊長として満州の野に転戦。
 37・38年の日露戦役には大本営参謀満州軍総司令部参謀として軍の最も重要な計画に加わる役務を担当、軍の知恵袋と高く評価された。
 故に日露戦役で勝利を得た戦後処理の日露講話条約に選ばれ乃木陸軍大将副官として列席した。
 明治42年8月には、軍事研究のために、フランスに派遣され4年駐在。大正8年再びフランスに派遣された。
 国際連盟軍事諮問委員、講話条約実施委員、大使館付武官等の大任を帯びて11年3月帰朝するまでフランスに駐在。この2回目のフランス大使館勤務の時、昭和天皇のヨーロッパ訪問があり、寿は、第一次世界大戦の戦場をご案内しています。フランスのパリより帰朝後、歩兵第二十三旅団長、歩兵学校長、教育総監本部長などの要職を経て朝鮮羅南第十九師団長を最後に軍務を退きました。
 楡俣新田に、当時の渡辺家の屋敷があった土地52坪が町に寄付された事を記した石碑『寄付渡辺寿殿』と、大藪地区戦没者墓地がある。

父(勘右衛門)の事を、人物『宝歴治水工事三之手出張小屋の提供者』で紹介してます。

参考文献:郷土の輝く先人 上巻

詳細情報

場所 輪之内町大薮
連絡先

TEL:
FAX:

所有者
製作年代 明治7年(1874)11月29日~昭和37年1月29日 享年89
撮影日 2011年10月28日  経度 35.295143 
調査年月日   緯度 136.6549968 
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輪中のまち輪之内町

水郷地帯の岐阜県輪之内町。
輪中に位置するこの町は、昔から 川の氾濫をくり返し、生命、家屋、農地等を奪いつつも、水害から身を守るため 様々な治水事業を行ってきました。
中でも宝暦年間に行われた治水事業は、輪之内町のの歴史上大変重要であり、今の輪之内を形づくっています。 輪之内町内には薩摩藩の功績をたたえた史跡や、水と戦ってきた数々の知恵が今も生きています。