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日本武尊と鵜の森やまとたけるとうのもり

塩喰の白山比賣神社

塩喰の白山比賣神社

塩喰の白山比賣神社
塩喰の白山比賣神社

対象物の特徴・来歴等

 塩喰川西の鵜森の地は、大和朝廷のもとで、日本の統一に武勇を発揮された日本武尊が伊吹山の悪神退治の帰路立ち寄られたといわれています。日本武尊は景行天皇の御子で武勇のすぐれた方でした。
16歳の時、天皇の命で西国のくまそを征伐し、東国のえぞを平げ都に帰ると、伊吹山の悪神退治の命を受け出かけられました。山に入ると黒い雲がわきおこり、途中に小さな蛇が横たわっていました。「これは伊吹の悪神の使いであろう、殺すことはない」と言い、またいで進まれました。
 すると前よりもはげしい雲や霧がでて、氷の雨が降り、大蛇の毒気で眠気が。すると「わしの力を知ったか、蛇になったわしを見破ることもできなかったお前の負けだ。わしは山の神だ」とするどい声に目がさめ、尊はみじめな敗北。体は毒気にあたり重体でした。
 古事記に、関ヶ原町玉倉部の清水を飲まれると体力が回復されたと伝えています。いわゆるいざめの清水です。一休みされた尊の腰かけ岩の伝説も残っています。
 尊は、伊勢路をめざし、牧田川の川筋にそい鵜森に立ち寄られたのです。鵜やサギなどの川鳥が乱舞するのどかな水辺でからだの熱を冷やされ、多芸野から南濃河戸の杖衝坂に道をとられながら、杖をつきそろそろ歩きとなり、やがては伊勢鈴鹿川の北岸能褒野で力尽きなくなられました。
 いざめの清水、多芸の里、杖衝坂の地名を残された日本古代の英雄、日本武尊30歳のご生涯の一こまに、鵜森の地がこうして刻まれているのです。 
 鵜森とは、現在の塩喰白山比賣神社です。

塩喰白山比賣神社は、輪中文化財(信仰)で紹介してます

わのうち百話より

詳細情報

場所 輪之内町塩喰川西の鵜森
連絡先

TEL:
FAX:

所有者
製作年代
撮影日   経度 35.28412807757025 
調査年月日   緯度 136.61288738250732 
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輪中のまち輪之内町

水郷地帯の岐阜県輪之内町。
輪中に位置するこの町は、昔から 川の氾濫をくり返し、生命、家屋、農地等を奪いつつも、水害から身を守るため 様々な治水事業を行ってきました。
中でも宝暦年間に行われた治水事業は、輪之内町のの歴史上大変重要であり、今の輪之内を形づくっています。 輪之内町内には薩摩藩の功績をたたえた史跡や、水と戦ってきた数々の知恵が今も生きています。