木曽三川分流工事を推進した代議士 片野篤二 父は輪中の治水に尽くした片野万右衛門、母つるの四男として生まれました。父、長兄の村の要職を引継ぎ、教育面では斯立学校の運営に関与しました。
同年11月には、斯立学校連合会議員に当選し、12月には斯立学校組合連合会議長に就任し学校教育の振興に務めています。
なかでも篤二が一番嘱望された仕事は、大榑川洗堰組合の維持管理の業務であり、福束輪中堤防参事員の仕事でした。
父万右衛門が創設した治水共同社の取締に就任し木曽三川分流工事の推進に務めています。揖斐川の河道を拡幅し、蛇行する河道をまっすぐに流すために土地収用事務の嘱託を委嘱され、土地収用に誠心誠意専念しました。この土地買収で、屈曲していた揖斐川の河道は修正され、堤防も強固に河幅も広くなって流れも良くなりました。
また大榑川の繰切りによって町内の洪水に対する長年の不安は解消されました。
これらの功績に対して岐阜県知事安楽兼道より下附状を贈られています。
このように、明治二十九年にはじまった揖斐川の河川改修での用地買収で辛酸をなめている最中、篤二にとって無上の栄挙に輝くことがおきました。三十二年の第六回衆議院選挙で当選したことです。この当選によって、次兄の青樹英二(愛知県の衆議院議員)と兄弟揃って議席を共にすることができたのです。
兄弟議員の誕生を祝い村人達は三十五発の打ち上げ花火を打ち上げ当選を祝しました。
●参考文献:郷土の輝く先人 下巻
●資料提供者・協力者(敬称略):片野 知二
場所 | 輪之内町四郷五反郷 |
---|---|
連絡先 |
TEL: |
所有者 | |
製作年代 | 安政元年(1854)3月12日~明治三十三年六月二十七日没 享年四十二 |
撮影日 | 2011年11月1日 | 経度 | 35.28495131819463 |
---|---|---|---|
調査年月日 | 2011年11月1日 | 緯度 | 136.64822816848755 |
水郷地帯の岐阜県輪之内町。
輪中に位置するこの町は、昔から
川の氾濫をくり返し、生命、家屋、農地等を奪いつつも、水害から身を守るため
様々な治水事業を行ってきました。
中でも宝暦年間に行われた治水事業は、輪之内町のの歴史上大変重要であり、今の輪之内を形づくっています。
輪之内町内には薩摩藩の功績をたたえた史跡や、水と戦ってきた数々の知恵が今も生きています。