江翁寺住職 中西等覚、晴雪禅師父子は二代にわたり薩摩義士の顕彰に尽くしました。「大正十三年義士法要記念」は十一代等覚禅師にとっても、町にとっても大事業でありました。薩摩義士の墓地の改葬と百七十年祭の実施でした。
江戸時代は義士の墓は檀家の墓地に紛れこませて葬られていました。それを改葬し一ヶ所に集めるという事業でした。 町、村民の奉仕活動により江翁禅寺に土盛し、石組、玉垣にて整え改葬を終え、墓地完成の大法要が行われました。大法要には、臨済宗妙心寺派管長導師のもとに盛大に挙行されました。
晴雪禅師は少年時代を鈴鹿市神戸の龍光寺に入山し修行して臨済宗専門学院(現花園大学)に入学、卒業後は名古屋市の徳源寺専門道場にて修行につとめ、その後入隊し、除隊した後は福束小学校等を歴任しました。その後岐阜少年院、京都医療少年院へ転職し定年まで勤務し退職しました。
昭和27年3月9日に師父等覚禅師が六十五歳で亡くなられると三十四歳で住職に就任され、以来住職と少年院勤務の責任ある二役を務める多忙な生活に追われました。
退職金を投じて、青少年研修道場を建築し薩摩義士民踊保存会事務局長の立場から、道場は「薩摩義士民踊保存会稽古場」に提供されました。
主な活動には、薩摩義士民踊保存会の衣装の図案は晴雪禅師御夫婦の考案によるものですし、「中部未来博’88」では「薩摩義士民踊」を披露し大好評を博しました。
又、宝暦治水二百四十五年を記念した町民舞台劇「洗堰に日は昇る」の公演に、体調不良をおして熱演されました。
その他に、義没者の子孫捜しで、思いがかない永田杢左衛門、浜島紋右衛門二柱の御遺族が墓前で再会された出遭いが無情の喜びであったと語られていました。
このような活動は義士の叫び、師父の思いを抱いての二人三脚であったと思われます。
八十二歳で遷化された晴雪師は父君の隣で静かに眠っておられます。
江翁寺は輪中文化財(信仰)の中で紹介してます、『薩摩義士の墓地』があるお寺です。
参考文献:郷土の輝く先人 下巻
資料提供者・協力者(敬称略):江翁寺坊守・中西 せい
場所 | 輪之内町楡俣新田410 |
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連絡先 |
TEL:0584-69-2151 |
所有者 | 宗教法人 大士山 江翁禅寺 |
製作年代 | 等覚師 明治21年6月13日~昭和27年3月9日 世寿 65歳 晴雪禅師 大正8年4月1日~平成12年4月28日 世寿 82歳 |
撮影日 | 2011年10月18日 | 経度 | 35.298805026830344 |
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調査年月日 | 緯度 | 136.65180087089538 |
水郷地帯の岐阜県輪之内町。
輪中に位置するこの町は、昔から
川の氾濫をくり返し、生命、家屋、農地等を奪いつつも、水害から身を守るため
様々な治水事業を行ってきました。
中でも宝暦年間に行われた治水事業は、輪之内町のの歴史上大変重要であり、今の輪之内を形づくっています。
輪之内町内には薩摩藩の功績をたたえた史跡や、水と戦ってきた数々の知恵が今も生きています。