五反郷村庄屋片野万右衛門の次男として生まれました。
嘉永三年、安政元年、同三年、同四年、明治元年と相つぐ福束輪中堤の決潰に遭遇し、治水事業の重大さを痛感、被災者の救済のため父に協力し、兄南陽と共に活躍しました。
明治四年二十八歳の英二は縁あって尾張国海西郡東條村の戸長青樹家の婿養子に入り、その日から戸長の職責を果たしました。戸長として村の合併、学校を設立し自ら教壇に立ちました。
その後、自ら政治の舞台に出る決心をして愛知県議会議員に当選し、地方自治と国政に参画し、政治の道を着実に歩みました。
一方地域の発展のため、多彩な事業を企画し、成果を挙げました。
新田開発、津島貿易会社を設立(初代社長)海島銀行を設立、尾西鉄道を設立し産業発展に尽くしました。
なかでも特筆すべき事業は、日本で最初に蒸気機関を利用し、蒸気排水機場を設置しました。面積千八百町歩の水郷地、宝川(愛知県)の河口は満々と悪水を堪えています。イギリス製の蒸気機関三基、ボイラー三基、口径二十四吋のポンプ六基を備えた施設を工費七万千六十三円余を費やし建造した画期的な排水機場から、心地よい快音を響かせ悪水は勢いよく排出されたのです。
全国一を誇る孫宝排水機場の完成は明治三十八年九月のことでした。
この大事業は、田を走る汽車と人々から注目をあびました。蒸気機関車が走っている姿を見た時から、あの力を利用できないかと考えた英二の夢が実ったのです。
公益を優先し、ユニークな発想と創意、旺盛な行動力がモットーでした。
排水機場には、近隣の人々だけでなく他県からも見学者が訪れました。英二のふるさと福束輪中の人々、仁木村長牧野鉄九郎、福束村長中島豊之助の一行です。
英二はふるさとのために,大吉輪中の湛水を蒸気排水機で排水する,協力をおしみませんでした。
明治42年に大吉新田と西海松境の堤防ぞいに蒸気排水機場が竣工しました。
見事な高い煙突とレンガ壁の排水機場の完成を喜び、人々は唄にして祝いました。
英二にとって、仁木蒸気排水機場の完成は、まさに郷里に錦を飾った出来事といえます。
●参考文献:郷土の輝ける先人 上巻
●資料提供者・協力者(敬称略):片野 知二
場所 | 輪之内町四郷五反郷 |
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連絡先 |
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製作年代 | 天保十四年(1843)二月二十五日~大正五年(1916)四月三日 享年七十四 |
撮影日 | 2011年11月1日 | 経度 | 35.284933802523795 |
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調査年月日 | 2011年11月1日 | 緯度 | 136.6482925415039 |
水郷地帯の岐阜県輪之内町。
輪中に位置するこの町は、昔から
川の氾濫をくり返し、生命、家屋、農地等を奪いつつも、水害から身を守るため
様々な治水事業を行ってきました。
中でも宝暦年間に行われた治水事業は、輪之内町のの歴史上大変重要であり、今の輪之内を形づくっています。
輪之内町内には薩摩藩の功績をたたえた史跡や、水と戦ってきた数々の知恵が今も生きています。