薩摩堰築造時に出張小屋を提供した山崎八左衛門は、現在大薮に在住の山崎明氏のご先祖です。
「宝暦治水工事」のさいに大榑川に洗堰を築造することになり出張小屋は大薮村渡辺勘右衛門の屋敷があてられましたが、五百余名の藩士たちは分散して、山崎家も当然のように藩士たちの仮住居として提供されました。
それを証明するものに藩士の「遺墨」があります。
楚垂子のもとに、二年越の足を止めて、あるじの風雅なるに朝夕勤労を散し、数の月日も目出度送りて旅立つけふ
留別の句あらわさんとすれど、例の公務のせわしさにお世話とばかり暇を乞うて、只茂る葉も尚も栄えん事を祝うのみ。
枝も葉も尚々ふやせ今年竹 桃山
楚垂子(そすいし)とは、八左衛門の号で、桃山は藩士の俳号でありましょう。異郷に来りて、なれない土木作業に従事すること二年間、ようやく工事を終えて帰国できることになりました。
滞在中、あなたの風流になぐさめられ、仕事の疲れをいやすことができました。貴家が若竹の伸び茂るが如く栄ますようにと句に託しています。
これより、八左衛門が薩摩藩士に対して、心中を察し感謝の心で接し、その労苦をねぎらうべく、思いやりと気配りを絶やさなかったものと思われます。
参考文献:「郷土の輝く先人」上巻
資料提供者・協力者(敬称略):山崎 明
場所 | 輪之内町大薮 |
---|---|
連絡先 |
TEL: |
所有者 | |
製作年代 |
撮影日 | 2011年11月7日 | 経度 | 35.292009825060944 |
---|---|---|---|
調査年月日 | 緯度 | 136.66720747947693 |
水郷地帯の岐阜県輪之内町。
輪中に位置するこの町は、昔から
川の氾濫をくり返し、生命、家屋、農地等を奪いつつも、水害から身を守るため
様々な治水事業を行ってきました。
中でも宝暦年間に行われた治水事業は、輪之内町のの歴史上大変重要であり、今の輪之内を形づくっています。
輪之内町内には薩摩藩の功績をたたえた史跡や、水と戦ってきた数々の知恵が今も生きています。