下大榑新田の東側にある正養寺は、寬政10年(1798)に美濃三大寺の一つである竹鼻の専福寺下寺として創建。阿弥陀仏を本尊とする真宗大谷派東本願寺の末寺である。
現在の住職は21代目。本堂は明治19年建立したが、明治24年濃尾大地震で全壊。その半年後に、もとの材料を使用して仮堂を建て現在に至る。昭和59年に屋根瓦を葺き替えした。
18代目住職三応は、京都高倉学寮(現大谷大学)の教壇にたち教育に努めた。弟子の良因寺の安藤義本は、大垣出身の当代随一の学者南條文雄に『神牌』を書いて貰い、正養寺に保管されている。
大東亜戦争の時、安永4年(1775)鋳造のつり鐘を供出した。
正養寺は、人物の中で紹介してます『エスペラントの普及に力を尽くした脇坂智證』の縁のお寺です。
参考文献:輪之内町史・開けゆく輪之内・昭和63年広報
場所 | 輪之内町下大榑新田11047 |
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連絡先 |
TEL:0584ー69ー3266 |
所有者 | 脇坂 仁 |
製作年代 | 寬政10年(1798)創建 |
撮影日 | 2011年11月25日 | 経度 | 35.2712452 |
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調査年月日 | 2012年1月10日 | 緯度 | 136.6423324 |
水郷地帯の岐阜県輪之内町。
輪中に位置するこの町は、昔から
川の氾濫をくり返し、生命、家屋、農地等を奪いつつも、水害から身を守るため
様々な治水事業を行ってきました。
中でも宝暦年間に行われた治水事業は、輪之内町のの歴史上大変重要であり、今の輪之内を形づくっています。
輪之内町内には薩摩藩の功績をたたえた史跡や、水と戦ってきた数々の知恵が今も生きています。