渡邊勘四郎は、天保2年6月25日大藪に生まれた。
庄屋に務めていたが、維新後大藪村の戸長になった。
治水に力を入れ、大榑川・長良川の堤防の修築には私有地を提供した。明治8年政府は税制革命を行い、官有地・私有地の地税区分をしたが、堤防のために提供した土地の税を減されなかったので、彼は増築した敷地は当然民有地であるとしばしば陳情した。政府はついに民有地であることを認めた。大榑川の廃川・長良川の改修による廃堤によって、一万余坪のこの土地は大藪区有のものとなった。
渡邊勘四郎の功績をたたえ、大藪の水神神社(太神宮)に『渡邊勘四郎功績碑』がある。
功績碑がある水神神社(太神宮)の事は、輪中文化財(神社)で紹介してます。
参考文敵:輪之内町史
場所 | 輪之内町大薮 |
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製作年代 | 天保2年6月25日~明治35年9月21日 享年72歳 |
撮影日 | 2012年1月24日 | 経度 | 35.29398889889102 |
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調査年月日 | 緯度 | 136.6667890548706 |
水郷地帯の岐阜県輪之内町。
輪中に位置するこの町は、昔から
川の氾濫をくり返し、生命、家屋、農地等を奪いつつも、水害から身を守るため
様々な治水事業を行ってきました。
中でも宝暦年間に行われた治水事業は、輪之内町のの歴史上大変重要であり、今の輪之内を形づくっています。
輪之内町内には薩摩藩の功績をたたえた史跡や、水と戦ってきた数々の知恵が今も生きています。