大藪の東にある水神神社は、宝歴8年2月創建で、太神宮とも言われている。主祭神『水波能売神(みずはのめのかみ)』を祭る。
江戸末期に画かれた大榑川洗堰の鳥瞰図(ちょうかんず)には、二番猿尾の頂上部に祠が画かれている。この祠が水神神社である。
大榑川の閉鎖により、祠を大藪渡船に通じる坂路上に遷し、洗堰組合が祭祠を厳修した。昭和初期に現在地に社殿を新築し遷宮祭を斉行。昭和54年神域を玉垣で囲み整備した。
境内には、ペルーが来航したのを受けて長良川堤防上に『黒船燈明』と呼ばれ、渡し場の常夜灯として利用されていた『太神宮』安政3年(1856年)建立や、堤防の修築に貢献された渡邊勘四郎の功績碑がある。
渡邊勘四郎は、かんこう輪之内(人物)で紹介してます。
参考文敵:輪之内町史・ガイドマップ
場所 | 輪之内町大藪堤塘 |
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連絡先 |
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所有者 | |
製作年代 | 宝歴8年2月創建 |
撮影日 | 2012年1月24日 | 経度 | 35.29285049950224 |
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調査年月日 | 緯度 | 136.6665744781494 |
水郷地帯の岐阜県輪之内町。
輪中に位置するこの町は、昔から
川の氾濫をくり返し、生命、家屋、農地等を奪いつつも、水害から身を守るため
様々な治水事業を行ってきました。
中でも宝暦年間に行われた治水事業は、輪之内町のの歴史上大変重要であり、今の輪之内を形づくっています。
輪之内町内には薩摩藩の功績をたたえた史跡や、水と戦ってきた数々の知恵が今も生きています。