下大榑の集落の中にある正光寺の寺伝に、寬永19年(1642年)の春に、釈浄念が開基し、宣如上人から賜った阿弥陀仏を本尊とする真宗大谷派東本願寺の末寺である。現在の住職が18代目。
お寺の過去帳に『浄念ハ元高須候藩士、関ヶ原合戦二参加徳川方二加勢、後尾張国冨田に移住、冨田二馬繋ギノ杉アリ云々』とある。浄念は下大榑で開基する前は冨田(尾西市)にいた。
境内には樹齢350年のいちょうの木・菊化石・前住職が50年以上かけて集めた江戸時代からの民具・農耕具・生活用品や住職が太平洋戦争(フィリピン)に行った時の軍服や戦争関係の物が約100坪のスペースに展示してある。このような物を『げてもの』という事から『正光寺げてもの史料館』と命名、見学可能。(無料・予約必要)
大東亜戦争の時、寬政に鋳造したつり鐘を供出した。
参考文敵:昭和63年広報
場所 | 輪之内町下大榑13041 |
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連絡先 |
TEL:0584-69-2911 |
所有者 | 田中 秀啓 |
製作年代 | 寬永19年(1642年)建立 |
撮影日 | 2012年1月31日 | 経度 | 35.27276606426496 |
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調査年月日 | 2012年2月22日 | 緯度 | 136.6489040851593 |
水郷地帯の岐阜県輪之内町。
輪中に位置するこの町は、昔から
川の氾濫をくり返し、生命、家屋、農地等を奪いつつも、水害から身を守るため
様々な治水事業を行ってきました。
中でも宝暦年間に行われた治水事業は、輪之内町のの歴史上大変重要であり、今の輪之内を形づくっています。
輪之内町内には薩摩藩の功績をたたえた史跡や、水と戦ってきた数々の知恵が今も生きています。