東大藪にある円楽寺は、文明元年(1469)~文明17年(1486)の間に、天台宗から真宗大谷派へ転じ、創建年月不詳。
本堂には、町指定文化財『方便法身尊形』(御絵像の事で、通称「だいほんさま」)がある。
境内には、宝暦5年に慈賢和尚が葬った大榑川洗堰工事の人柱となった舛屋伊兵衛の墓(県指定文化財)と石柱『薩摩堰人柱墓所』があり、円楽寺で供養されている。
本堂の前には、昭和36年4月に建立された『親鸞聖人七百回御遠忌記念』の石柱がある。
大東亜戦争の時、宝暦2年(1752)に鋳造したつり鐘を供出した。
参考文敵:輪之内町史・開けゆく輪之内
場所 | 輪之内町大薮1865 |
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連絡先 |
TEL:0584-69-3744 |
所有者 | 水谷 見成 |
製作年代 | 創建年月不詳 |
撮影日 | 2012年2月17日 | 経度 | 35.29219372334102 |
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調査年月日 | 緯度 | 136.66139245033264 |
水郷地帯の岐阜県輪之内町。
輪中に位置するこの町は、昔から
川の氾濫をくり返し、生命、家屋、農地等を奪いつつも、水害から身を守るため
様々な治水事業を行ってきました。
中でも宝暦年間に行われた治水事業は、輪之内町のの歴史上大変重要であり、今の輪之内を形づくっています。
輪之内町内には薩摩藩の功績をたたえた史跡や、水と戦ってきた数々の知恵が今も生きています。