堤とは、下大榑新田の江川が大榑川に流れ込むあたりの集落の地名。
昔、まだ大榑川が大藪でしめ切られる前、竹藪が続いて昼も薄暗く、水も濁り薄気味悪い大渕でしたが、コイやフナなど魚の巣のようなところでした。このあたりに住む孫さという漁師がこの渕で魚を捕っていましたが、ある日投げた網が何かに引っかかったので渕に潜りました。すると、大赤じじが網を口にくわえ、太いひげを動かしながら、大きな目玉を見開いて孫さをにらみつけています。「こら孫!おまえは毎日おれの家来を獲っているが、明日からは一切魚を捕ることはならんぞ。」と大声でいいました。孫さは「わしは漁師が商売だ、魚を捕らんわけにはいかん。」と言い返し、家へ走り込んだ。その晩から高熱がでてご飯ものどを通らず、「赤じじ。赤じじ。」とうなされながら三日目にとうとう死んでしまった。村の人は、「孫さはあんまり魚を捕りすぎたので、大榑川のぬしのたたりで死んだ。」と噂しました。
赤じじとは、年をとった大ヒゴイのことです。大正の頃まで1メートルのコイは沢山いたそうです。
参考文敵:わのうち百話
場所 | 輪之内町下大榑新田 |
---|---|
連絡先 |
TEL: |
所有者 | |
製作年代 |
撮影日 | 経度 | 35.2714543705898 | |
---|---|---|---|
調査年月日 | 2012年3月19日 | 緯度 | 136.6315770149231 |
水郷地帯の岐阜県輪之内町。
輪中に位置するこの町は、昔から
川の氾濫をくり返し、生命、家屋、農地等を奪いつつも、水害から身を守るため
様々な治水事業を行ってきました。
中でも宝暦年間に行われた治水事業は、輪之内町のの歴史上大変重要であり、今の輪之内を形づくっています。
輪之内町内には薩摩藩の功績をたたえた史跡や、水と戦ってきた数々の知恵が今も生きています。