1620年頃、旗本岡田将監善同の家老であった北村可長は失火の責任を負い辞職し、西濃地方では最も早く水田開発に着手し1631年病で没した。未亡人となった奥さんが菩提をとむらうため、江翁禅寺が創建され、大悲堂(観音堂)も別堂として建てられた。堂には約800年前の木造の観世音菩薩が安置され堂下には発願者である可長の妻、「龐珠玄昭大姉」の遺髪が埋められ、境内には水田開発の恩人北村一族の墓がある。
尚、寺号の江翁禅寺は、可長の戒名「江翁道吸居士」に拠っている。
江翁禅寺の事は、輪中文化財(信仰)で紹介してます。
資料提供者・協力者(敬称略):江翁寺坊守・中西 せい
場所 | 楡俣新田410 |
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連絡先 |
TEL 0584-69-2151 |
所有者 | 宗教法人 大士山 江翁禅寺 |
製作年代 | 1654年(承応3年) |
撮影日 | 2011年3月31日 | 経度 | 35.3000675 |
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調査年月日 | 2011年3月31日 | 緯度 | 136.6512388 |
水郷地帯の岐阜県輪之内町。
輪中に位置するこの町は、昔から
川の氾濫をくり返し、生命、家屋、農地等を奪いつつも、水害から身を守るため
様々な治水事業を行ってきました。
中でも宝暦年間に行われた治水事業は、輪之内町のの歴史上大変重要であり、今の輪之内を形づくっています。
輪之内町内には薩摩藩の功績をたたえた史跡や、水と戦ってきた数々の知恵が今も生きています。