福束大橋をはさんで、南北に延びる住宅地。
明治時代の20年代から40年代にかけて、木曽三川分流工事の一環として、揖斐川の流れを真っ直ぐにするために、堤外にあった240戸のうちの150戸が、強制的に移転対象になり、堤防の下にに沿って宅地を造りました。
南向きに住宅が並んでいることから列状集落と呼ばれます。
場所 | 福束一帯 |
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連絡先 |
TEL: |
所有者 | |
製作年代 | 明治20年~明治44年 |
撮影日 | 2011年8月10日 | 経度 | 35.29641451187604 |
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調査年月日 | 2011年8月10日 | 緯度 | 136.62180304527283 |
水郷地帯の岐阜県輪之内町。
輪中に位置するこの町は、昔から
川の氾濫をくり返し、生命、家屋、農地等を奪いつつも、水害から身を守るため
様々な治水事業を行ってきました。
中でも宝暦年間に行われた治水事業は、輪之内町のの歴史上大変重要であり、今の輪之内を形づくっています。
輪之内町内には薩摩藩の功績をたたえた史跡や、水と戦ってきた数々の知恵が今も生きています。