福束の西側にある福満寺は、寛正元年(1459)に僧盛道の開基で、本尊は阿弥陀如来で、真宗大谷派の末寺である。
明治32・33年の揖斐川改修の時に地中より発掘されたものを地蔵堂に安置し区で管理している。
福満寺には、旧福束城を記録した古版木が残る。
版木の図柄は中央に福満寺の本堂を画き、左に丸毛兵庫頭の墓、右に鎮守佐々木大神宮、その上方に丸毛兵庫頭鉾塚城古跡と記し石垣が組まれている。左に丸毛家が境内に城を築き福束城跡は先祖菩堤の霊場になったと記している。この版木は福束城にかかわる唯一の貴重な資料です。
大東亜戦争の時、寬文5年(1665)鋳造のつり鐘を供出した。
参考文敵:輪之内町史
場所 | 輪之内町福束928-1 |
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連絡先 |
TEL: |
所有者 | 佐々木 優 |
製作年代 | 寛正元年(1459年) |
撮影日 | 2011年8月10日 | 経度 | 35.29888383381333 |
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調査年月日 | 2011年8月10日 | 緯度 | 136.62330776453018 |
水郷地帯の岐阜県輪之内町。
輪中に位置するこの町は、昔から
川の氾濫をくり返し、生命、家屋、農地等を奪いつつも、水害から身を守るため
様々な治水事業を行ってきました。
中でも宝暦年間に行われた治水事業は、輪之内町のの歴史上大変重要であり、今の輪之内を形づくっています。
輪之内町内には薩摩藩の功績をたたえた史跡や、水と戦ってきた数々の知恵が今も生きています。