天正・文禄の間(1500年代後半)織田信長の家臣金森兵庫守の男円蔵坊という人が遁世して建立したという。本尊は阿弥陀如来で里にある。
里は江戸時代の和算学の大家、森島簡斎の出生地であり、境内に威徳を偲ぶ公徳碑建立されている。
大東亜戦争の時、享保3年(1718)鋳造のつり鐘を供出した。
『和算学の大家 森島簡斎』は人物の中で紹介してます。
場所 | 輪之内町里738 |
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連絡先 |
TEL:0584-69-2648 |
所有者 | |
製作年代 | 1500年代後半 |
撮影日 | 2011年8月10日 | 経度 | 35.302399422808705 |
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調査年月日 | 2011年9月6日 | 緯度 | 136.6359195113182 |
水郷地帯の岐阜県輪之内町。
輪中に位置するこの町は、昔から
川の氾濫をくり返し、生命、家屋、農地等を奪いつつも、水害から身を守るため
様々な治水事業を行ってきました。
中でも宝暦年間に行われた治水事業は、輪之内町のの歴史上大変重要であり、今の輪之内を形づくっています。
輪之内町内には薩摩藩の功績をたたえた史跡や、水と戦ってきた数々の知恵が今も生きています。