日露戦争の戦没者を慰霊するために建立された碑。
明治37年~38年に日本は、大国ロシアと戦争をした。
この戦争は、激しく戦いで、町内でも多くの戦病死者を出した。
三地区の死者の合計は35名にのぼり、各村で「軍人村葬式が行われ、学校からも職員が全児童を引率して参列している。また、敷地内には太平洋戦争の忠魂碑もある。
『太平洋戦争戦没者慰霊碑』の事は、輪中文化財(遺構)で紹介してます。
場所 | 輪之内町里 |
---|---|
連絡先 |
TEL: |
所有者 | |
製作年代 |
撮影日 | 2011年8月10日 | 経度 | 35.30304298233674 |
---|---|---|---|
調査年月日 | 2011年9月5日 | 緯度 | 136.63328289985657 |
水郷地帯の岐阜県輪之内町。
輪中に位置するこの町は、昔から
川の氾濫をくり返し、生命、家屋、農地等を奪いつつも、水害から身を守るため
様々な治水事業を行ってきました。
中でも宝暦年間に行われた治水事業は、輪之内町のの歴史上大変重要であり、今の輪之内を形づくっています。
輪之内町内には薩摩藩の功績をたたえた史跡や、水と戦ってきた数々の知恵が今も生きています。