明教寺は、元和8年(1622)に三河の国、佐々木村上宮寺の住職の次男宮内が海松新田に来て開基したという。阿弥陀仏を本尊とする真宗大谷派東本願寺の末寺である。
享保6年(1721)に、笠松郡代所へ寺号の届出をした文章の写が保管されている。その文章の中に、本願寺より法名真月を申達された事、寺号は延宝9年(1678)より明教寺となった事が書いてある。
昔、正八幡宮の本尊が盗難にあった。幸い戻ってきたので本尊を明教寺の本堂に奉られた。明教寺は神仏両方が奉られているお寺です。
ごまんど神社や正八幡宮のお祭りは、昔は海松新田の牧野鉄九郎邸が出発点でしたが、今は明教寺が出発点となっている。
大東亜戦争の時、寬政8年(1796)鋳造のつり鐘を供出した。
正八幡宮は、輪中文化財(神社)で、牧野鉄九郎邸は(地域文化)長屋門で紹介してます。
参考文献:輪之内町史・昭和63年広報
場所 | 輪之内町海松新田175 |
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連絡先 |
TEL:0584-69-3420 |
所有者 | 住職 佐々木 台泉 |
製作年代 | 元和8年(1622)創建 |
撮影日 | 2011年8月10日 | 経度 | 35.2696509 |
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調査年月日 | 2012年1月25日 | 緯度 | 136.6238291 |
水郷地帯の岐阜県輪之内町。
輪中に位置するこの町は、昔から
川の氾濫をくり返し、生命、家屋、農地等を奪いつつも、水害から身を守るため
様々な治水事業を行ってきました。
中でも宝暦年間に行われた治水事業は、輪之内町のの歴史上大変重要であり、今の輪之内を形づくっています。
輪之内町内には薩摩藩の功績をたたえた史跡や、水と戦ってきた数々の知恵が今も生きています。