かんこう輪之内

人物・民話

平田靱負と篭屋徳兵衛 ひらたゆきえとかごやとくべえ

薩摩堰遺跡

薩摩堰遺跡

石をつめた蛇籠

石をつめた蛇籠

六人の薩摩義士の墓(江翁寺)

六人の薩摩義士の墓(江翁寺)

対象物の特徴・来歴等

 宝暦治水、大薮洗堰の工事は、幾度かの失敗の末最後の手段として、石を詰めた蛇籠を五段に積むことにしました。しかし竹細工など全然しらぬ薩摩武士、しかも幕府のきびしい監視のもとでは、竹の買付けもできぬありさまでした。しかし奉行平田靱負の決意は不退転でした。
 そのためには、河原八島の籠作りの名人徳兵衛の力を借りることがどうしても必要でした。
 徳兵衛方を訪ねた靱負は、蛇籠作りの伝授と、材料の竹の買入れを頼みました。びっくり驚いた徳兵衛は、命にかえてお引受けをしました。
 その日から徳兵衛の籠作りの手ほどきがはじまり、近くの竹は徳兵衛の手で買い占められどんどん運ばれてきました。徳兵衛は夜の目も寝ず籠作りの指導に追われました。徳兵衛の娘お房もかいがいしく働きました。
 徳兵衛によって8月の末までに二千数百の蛇籠と古船100艘の用意が出き、洗堰築造の開始のときを迎えることができました。
籠作りの名人徳兵衛の決死の指導は、ついには幕府のきびしいとりしまりにあいました。娘お房も同様でした。徳兵衛は薩摩義士の死をいたみ、後を追うようにお房の留守中自害したといいます。またお房も、工事の完成を念じて父の後を追い大榑川に入水したといいます。
 町の今日の平和は、こうした祖先の偉業にあずかっていることを忘れてはなりません。 

 いま江翁寺には六名の薩摩義士(大薮洗堰工事の責任をとって自害された)の墓があり、その命日が刻まれています。
 宝暦4年(1954)9月1日、市右衛門、9月9日永山市左衛門、主従相継いで切腹。9月15日、永田杢左衛門、9月23日、浜島紋右衛門、11月3日、籾木稲右衛門、11月9日、郷田喜八が初七日または九日目にしてつぎつぎと世をさられました。

 六名の薩摩義士の墓がある江翁寺は、輪中文化財(信仰)で紹介してます。

■文献 三十周年記念事業委員会(昭和六十年)「わのうち百話」輪之内町役場、p75~77を引用

詳細情報

場所 輪之内町大薮
連絡先 TEL:
FAX:
所有者
製作年代
撮影日
調査年月日
経度 35.289102425309196
緯度 136.66193962097168
現在地からルート確認
(Googleマップで開きます)