人物・民話
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平田靱負と篭屋徳兵衛
宝暦治水、大薮洗堰の工事は、幾度かの失敗の末最後の手段として、石を詰めた蛇籠を五段に積むことにしま…
ごまんど池の火の玉
忠夫爺さんが、子供の頃友達と二人で近くの御万度池へ魚釣りに出かけました。
夕方になって魚が良く釣…
大石が沈んでいる龍古
大吉新田和ノ割の堤防ぎわの一部に、龍古という字がありました。
字龍古は、明治30年の揖斐川の大改修…
里の大黒様
里の牧野進さんの家に、由緒ある大黒様の掛軸があります。この大黒様にはこんな話があります。
数代前…
堤の赤じじ
堤とは、下大榑新田の江川が大榑川に流れ込むあたりの集落の地名。
昔、まだ大榑川が大藪でしめ切られ…
清十郎稲荷
楡俣新田の江翁寺の観音堂南にまつられている、伏見清十郎稲荷大明神と名づけられたお稲荷さんには、こんな…
濁流の人柱 舛屋伊兵衛
舛屋伊兵衛は宝暦治水工事の際、ただ一人人柱となった人物。
養老郡多良の生まれで、領主高木内膳の下人…
和算学の大家 森島簡斎
簡斎は、文化5年(1808)1月15日里で生まれ,名は敏昌、号は簡斎でした。尾張藩の和算学、関流の大家、永田…
堤防の修築に私有地を提供した 渡邊勘四郎
渡邊勘四郎は、天保2年6月25日大藪に生まれた。
庄屋に務めていたが、維新後大藪村の戸長になった。
治…
輪中の守り人として生涯を捧げた 片野万右衛門
輪中のために生涯を捧げた片野万右衛門は、文化6年2月1日五反郷の名家に生まれ、天保年間既に庄屋となり3…
県文化財審議会委員を務めた郷土史家 片野温
郷土史家 片野温は、岐阜県の治水事業に大きな足跡を残した片野万右衛門の外孫として、父省吾、母きくえ…
鵜森伏越樋に命をかけた 伊藤伝右衛門
伊藤伝右衛門は西条村の庄屋西松権兵衛の次男として生まれ、17歳のときに、大垣藩士伊藤作之丞正昭の養子…
大榑川の竜宮
昔、海松新田に嘉助という水泳ぎ、魚獲りの達者な若者がいたが、灯明渕には寄りつかなんだと。
水が深く…
キツネとおだまき
昔、大吉新田の三昧に、夜な夜なキツネが出ては、人をだますという噂があった。
ある日、下新田の喜三郎…
福束のお稲荷さん
福束の白髭神社の中に、福束稲荷大明神が奉られています。どこでもお稲荷さんは、正一位稲荷大明神といっ…
日本武尊と鵜の森
塩喰川西の鵜森の地は、大和朝廷のもとで、日本の統一に武勇を発揮された日本武尊が伊吹山の悪神退治の帰…
宝暦治水工事三之手出張小屋の提供者
宝暦治水工事三之手出張小屋の提供者 渡辺勘右衛門
渡辺家は、江戸初期に伊勢国大鳥居より移住し葭原を…
キツネの嫁入り
昔、町の一番東を流れている東江川を、人々は『大江』といい大きな江川でした。川沿いにはヨシやアシがい…
俳諧の宗匠 美濃派二十一世 西松吟風
西松吟風は厚見郡鏡嶋村(現在の岐阜市)の上松禎助の子として生まれた。21歳の時、西松家へ婿入りする。…
漢学を究めた 杉山千和・三郊(父子)
杉山千和は大吉新田の山本源十郎の三男で、幼い頃から漢学・詩文を高須藩の儒者川内当々に学び、父から囲…
乃木大将の副官を務めた陸軍中将 渡辺寿
元陸軍中将従三位勲一等功四級、渡辺寿は大薮生まれ。家は代々勘右衛門を襲名する豪農でした。
父の名…
日本最初の蒸気排水機の設置者 青樹英二
五反郷村庄屋片野万右衛門の次男として生まれました。
嘉永三年、安政元年、同三年、同四年、明治元年…
木曽三川分流工事を推進した代議士 片野篤二
木曽三川分流工事を推進した代議士 片野篤二 父は輪中の治水に尽くした片野万右衛門、母つるの四男として…
薩摩義士の顕彰に尽くした禅師 (江翁寺住職)
江翁寺住職 中西等覚、晴雪禅師父子は二代にわたり薩摩義士の顕彰に尽くしました。「大正十三年義士法要…
岐阜県俳壇の再興を図った 棚橋碌翁
棚橋家は代々五郎右衛門と名乗り、楡俣村の庄屋役を勤める歴史の古い家柄で碌翁は棚橋家十二代目を継ぐとと…
薩摩堰築造時に出張小屋を提供した 山崎八左衛門
薩摩堰築造時に出張小屋を提供した山崎八左衛門は、現在大薮に在住の山崎明氏のご先祖です。
「宝暦治…
ゆうれいの切取髪(明看寺)
昔、豊喰新田に住む百姓の源四郎という者が、ある時、伊勢へ行きミキという女にぞっこん惚れてしまいまし…
力もち勘右衛
力もち勘右衛(かんね)
むかし、楡俣新田に気はやさしいが、たいへんな力持ちがおりました。
勘右…
将軍家光をだました薬師様(願正寺 薬師堂)
将軍家光をだました薬師様
中郷の願正寺の境内に、薬師堂があります。正面に円空作の木彫の薬師如来が…
流されてきた神様 四郷の神明神社
流されてきた神様
「神様が流れてござったって。」
子どもたちは、ふしぎそうな顔でおじいさんに問い…
エスペラントの普及に力を尽くした 脇坂智證
脇坂智證は、下大榑新田真宗大谷派正養寺第二十世住職、脇坂相諦の長男として誕生しました。
幼くして…
やきもの界の巨匠 川瀬竹春
本名は川瀬五作といい、父浅次郎、母はまの三男として輪之内町里で生まれました。十三歳の時、陶芸の道を…
体育教育に生涯を捧げた学者 加納冨美子
体育教育に生涯を捧げた学者
加納冨美子
平成九年四月三日、各新聞紙の朝刊死亡欄に次のような記事が…
片目の魚 たいしょう池
片目の魚
ついこの間まで、といっても四、五十年前、木戸の吉野神社の裏に、小さな池がありました。小…
関ヶ原合戦の死者を葬った北塚
関ヶ原の合戦の死者を葬った北塚
(せきがはらのかっせんのししゃをとむらったきたづか)
東大藪の北…
金のニワトリ
むかしから、どこでも金のニワトリがお正月の朝、「新しい年が開けたよ!」と、元気のよい声で鳴いて、そ…