人物・民話
流されてきた神様 四郷の神明神社 ながされてきたかみさま しんめいじんじゃ
対象物の特徴・来歴等
流されてきた神様
「神様が流れてござったって。」
子どもたちは、ふしぎそうな顔でおじいさんに問いかけました。
おじいさんは、おさない頃のじぶんの姿を見るような気がしました。
子どもたちには、神様は村の守り神です。人間の心のなやみを聞いてくださるやさしく、かしこく、たくましい尊いお方であると信じているから無理もありません。幼い時の自分も、そんな疑問をいだいたことを思いおこし、四郷の神明神社の由来を子どもたちに話しました。
いつのことか、遠いむかしの話です。
毎日毎日降り続く雨に人びとは、
「大水にならんけりゃいいが。」
と、雨雲をにらみ、神仏にすがり無事を祈っておりました。
それでも、無情な雨はいっこうに止むことなく、ついには増水した水で堤から手が洗える程に水かさが増すばかりで、その水はにごり水となり勢いをましゴウゴウと、すごい音をたて流れていました。
人びとは、高い堤から生きた心地もなく、ただぼう然として荒くるう濁流を見つめているだけでした。濁流は、上流の村をのみ込んだのであろうか、家の柱や戸板、立木が流れてきました。そして、時おり牛や馬などの家畜が悲しい鳴き声をたてて流されていくのを助けるすべもなくただ見つめておりました。
そんなものすごい光景を見つめている仲間のひとりが、突然さけびました。
「あれ、なんじゃろうか。」
とさけんだ男の指さす方を、人びとは一斉に見つめました。
あたりは雨雲のせいでうす暗くなっています。目の前の流れは赤茶色になっていました。その流れの中に心なしか輝く物が流れていくのです。みんなは、不思議そうにじっと輝く物を見つめました。
「あれは、おやしろじゃろか。」
「そうかも知れんな。」
「ひょっとしたら、上の村の神さんが流れてござったんや。」
「もったいないことじゃなあ。」
その小さいおやしろは、濁流の中を浮いたり沈んだりしながら流されていったのです。
大水は、ほんとにこわいことです。家屋敷を流したり、田や畑を土砂で埋めてしまいます。家畜や人の命もうばってしまいます。その上に、大切な神様までも流してしまうのです。
人びとは、目の前の大水のすごさにおびえながら、長い一日を堤の上ですごしました。仮小屋を設けて一夜を明かすことになりました。だが、心をゆるして休むことは出きません。元気のよい者がかわりあって見張りにつくことになりました。残った者は、冷えきった体をお互いによりそわせて仮り寝をしました。
明け方のことでした。見張りの者が大声でさけびました。
「おーい。きのうのおやしろがもどってござったぞ。」
その声で、みんなは目をさまし、かけつけました。
きのう目の前の濁流の中におやしろが、逆流にもどされてお着きになったのです。
人びとは、神様のお着きを喜んでお迎えしました。疲れこんでいた人びとにも活気がよみがえってきました。
長老がうやうやしく堤の上をはき清めて南向きにおやしろをお移ししました。大水のさなかの出きごとです。神様をもてなすすべもありません。取りあえず、わずかばかりのお米をといて、ぞうすいをたいてお供えしました。
それ以来、この神様はこの地におとどまりになられました。そして堤の守り神となってわたしたちの村の願いごとを守ってこられたのです。
また、このお祭をぞうすい祭といいます。それには、二つの意味がこめられていると思います。
この神様は、大水によって流されてきた神様です。梅雨時や台風時になると、川の水はものすごく増水します。川の増水は、堤をこわし洪水をおこします。祖先は、どうか堤の守り神となってわたしたちの村をお守りくださいとお願いしました。増水時に流されてきた神様に、村の水神様になっていただいたことから増水(ぞうすい)祭といったのです。もう一つには、この神様がこの地に流されてきた時、まず雑炊(ぞうすい)を煮てお供えしたという昔からの伝えごとにちなんで名づけられたともいいます。
ともかく、ぞうすい祭で親しまれている四郷の神明神社のおやしろは、大榑川輪中堤の上にあって、境内は広く地盤もじょうぶですから、洪水時には助命壇となって人びとを救ってきました。むかしはスギやムクなどの大木がおいしげって見事なもりでしたが、今は伊勢湾台風でたくさんたおれて、目通り五メートルもある、樹令五百年といわれるムクの木が一本、空にむかって枝をひろげています。ムクの木は大切な町の天然記念物です。
四郷の神明神社は、輪中文化財(神社)の中で、ムクの木は、輪中文化財(助命木)の中で紹介されてます。
「神様が流れてござったって。」
子どもたちは、ふしぎそうな顔でおじいさんに問いかけました。
おじいさんは、おさない頃のじぶんの姿を見るような気がしました。
子どもたちには、神様は村の守り神です。人間の心のなやみを聞いてくださるやさしく、かしこく、たくましい尊いお方であると信じているから無理もありません。幼い時の自分も、そんな疑問をいだいたことを思いおこし、四郷の神明神社の由来を子どもたちに話しました。
いつのことか、遠いむかしの話です。
毎日毎日降り続く雨に人びとは、
「大水にならんけりゃいいが。」
と、雨雲をにらみ、神仏にすがり無事を祈っておりました。
それでも、無情な雨はいっこうに止むことなく、ついには増水した水で堤から手が洗える程に水かさが増すばかりで、その水はにごり水となり勢いをましゴウゴウと、すごい音をたて流れていました。
人びとは、高い堤から生きた心地もなく、ただぼう然として荒くるう濁流を見つめているだけでした。濁流は、上流の村をのみ込んだのであろうか、家の柱や戸板、立木が流れてきました。そして、時おり牛や馬などの家畜が悲しい鳴き声をたてて流されていくのを助けるすべもなくただ見つめておりました。
そんなものすごい光景を見つめている仲間のひとりが、突然さけびました。
「あれ、なんじゃろうか。」
とさけんだ男の指さす方を、人びとは一斉に見つめました。
あたりは雨雲のせいでうす暗くなっています。目の前の流れは赤茶色になっていました。その流れの中に心なしか輝く物が流れていくのです。みんなは、不思議そうにじっと輝く物を見つめました。
「あれは、おやしろじゃろか。」
「そうかも知れんな。」
「ひょっとしたら、上の村の神さんが流れてござったんや。」
「もったいないことじゃなあ。」
その小さいおやしろは、濁流の中を浮いたり沈んだりしながら流されていったのです。
大水は、ほんとにこわいことです。家屋敷を流したり、田や畑を土砂で埋めてしまいます。家畜や人の命もうばってしまいます。その上に、大切な神様までも流してしまうのです。
人びとは、目の前の大水のすごさにおびえながら、長い一日を堤の上ですごしました。仮小屋を設けて一夜を明かすことになりました。だが、心をゆるして休むことは出きません。元気のよい者がかわりあって見張りにつくことになりました。残った者は、冷えきった体をお互いによりそわせて仮り寝をしました。
明け方のことでした。見張りの者が大声でさけびました。
「おーい。きのうのおやしろがもどってござったぞ。」
その声で、みんなは目をさまし、かけつけました。
きのう目の前の濁流の中におやしろが、逆流にもどされてお着きになったのです。
人びとは、神様のお着きを喜んでお迎えしました。疲れこんでいた人びとにも活気がよみがえってきました。
長老がうやうやしく堤の上をはき清めて南向きにおやしろをお移ししました。大水のさなかの出きごとです。神様をもてなすすべもありません。取りあえず、わずかばかりのお米をといて、ぞうすいをたいてお供えしました。
それ以来、この神様はこの地におとどまりになられました。そして堤の守り神となってわたしたちの村の願いごとを守ってこられたのです。
また、このお祭をぞうすい祭といいます。それには、二つの意味がこめられていると思います。
この神様は、大水によって流されてきた神様です。梅雨時や台風時になると、川の水はものすごく増水します。川の増水は、堤をこわし洪水をおこします。祖先は、どうか堤の守り神となってわたしたちの村をお守りくださいとお願いしました。増水時に流されてきた神様に、村の水神様になっていただいたことから増水(ぞうすい)祭といったのです。もう一つには、この神様がこの地に流されてきた時、まず雑炊(ぞうすい)を煮てお供えしたという昔からの伝えごとにちなんで名づけられたともいいます。
ともかく、ぞうすい祭で親しまれている四郷の神明神社のおやしろは、大榑川輪中堤の上にあって、境内は広く地盤もじょうぶですから、洪水時には助命壇となって人びとを救ってきました。むかしはスギやムクなどの大木がおいしげって見事なもりでしたが、今は伊勢湾台風でたくさんたおれて、目通り五メートルもある、樹令五百年といわれるムクの木が一本、空にむかって枝をひろげています。ムクの木は大切な町の天然記念物です。
四郷の神明神社は、輪中文化財(神社)の中で、ムクの木は、輪中文化財(助命木)の中で紹介されてます。
詳細情報
場所 | 輪之内町 四郷 |
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連絡先 | |
所有者 | |
製作年代 | 1505年(永正2年) |
撮影日 | 2011年2月22日 |
調査年月日 | 1985年5月1日 |
経度 | 35.28915496960472 |
緯度 | 136.65235877037048 |
現在地からルート確認
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