かんこう輪之内

人物・民話

片目の魚 たいしょう池 かためのさかな たいしょういけ

今に残るたいしょう池

今に残るたいしょう池

この池にはカワバタモロコが生息

この池にはカワバタモロコが生息

対象物の特徴・来歴等

片目の魚

 ついこの間まで、といっても四、五十年前、木戸の吉野神社の裏に、小さな池がありました。小さくなる前は、大きな池だったそうです。村人は、その池をたいしょう池とよんでいました。
 ところで、このたいしょう池でとれる魚は、不思議なことに、どれもこれも片目の魚ばっかりだったそうです。それには、こんな話が伝わっています。
 この大池ができる前、中村川の堤ぎわに、たいしょう寺というお寺がありました。そこの和尚(おしょう)さんときたらとても碁(ご)が好きで、ひまさえあれば、朝といわず昼といわず、愛用の碁盤(ごばん)と碁石を持ち出してきて、お手本をながめては、パチッ、パチッ、とひとり碁を打つほどでした。
 ある年のことでした。その夏は例年になく雨が長く降り続いていました。そのため、中村川の水かさも、ぐんぶん増してきました。長雨が続くとすぐ頭に浮かぶしんぱいは、堤が切れはせぬか、ということです。

村びとは、雨にぬれるのもいとわず、堤がしんぱいで水がもれてこないかと堤の見張りをしていました。ところが、そんな村びとのしんぱいをよそに、真黒に垂れ下がった雨雲からは、バケツの水をぶちまけたかのような雨が降り続いていました。また、堤はというと、まるでスポンジが水をふくんだようなありさまで、今にもくずれるばかりにうんでいました。
 村びとが必死に堤防を守っているとき、和尚さんはやっぱり碁の好きな相手と、パチッ、パチッ、と碁を打っていたのでした。
 堤の方が気がかりで仕方のないおくりさんは、おろおろしながらも、客を何とかもてなさなくてはと、うどんを打ちはじめました。とそのとき、裏の方から聞こえてくるざわめきを耳にしたのでした。それは、村びとがいちばんおそれていた堤が切れそうだという話声だったのです。
 びっくりしたおくりさんは、
「切れそうです。切れそうです。」
と和尚さんに知らせました。ところが和尚さんときらた、何を勘違いしたのか、
「切れそうでもかまわん。食べれば切れてしまうわ。さ、はよう持ってこい。」
と、一向(いっこう)にとりあいません。そうして、あいかわらず碁を打っているのでした。
 しばらくしたら、おそれていたことが起きてしまいました。ほんとうに堤が切れてしまったのです。あわてたおくりさんは、大声をはりあげて和尚さんに、
「切れてしまいました。切れてしまいました。」
とさけびながら、寺から飛び出したそうです。だが和尚さんときたら、うどんのことしか頭にないので、
「切れたのでよい。はよ持ってこい。」
といい返して、なおも碁を打っていたのです。
 さあたいへん、堤を押し破った濁流は、波を起こして、田や畑はおろか、この寺やふたりまでものみ込んでしまいました。そして、その後に大きな池を残したのでした。
 たいしょう池はこうしてできたのですが、それからあと、ここに住む魚はみな片目だったのです。
 村びとは、これはきっと和尚さんが池に入って池のぬしになったからだとうわさをしました。
 というのも、たいしょう寺の和尚さんは片目だったからです。そして、堤の切れたことをうどんが切れたものと見分けがつかぬほど、碁にむちゅうになっていた自分を、情けなく思って死んだにちがいありません。こうして、和尚さんの魂が魚にのり移って、片目の魚がすむようになったと考えるようになったのでしょう。それからは、村びとはきみわるがって、たいしょう池の魚を捕えなくなりました。
 しかし、今では、その池も見られません。ただ、切れ所から土を運んで一段と高くなったさんまいの前の畑だけが、当時をしのばせるにすぎません。

詳細情報

場所 輪之内町本戸
連絡先 TEL:
FAX:
所有者
製作年代 昭和初期
撮影日
調査年月日 1985年5月1日
経度 35.31013930952363
緯度 136.64679318666458
現在地からルート確認
(Googleマップで開きます)