人物・民話
宝暦治水工事三之手出張小屋の提供者 ほうれきちすいこうじさんのてしゅっちょうごやのていきょうしゃ
対象物の特徴・来歴等
宝暦治水工事三之手出張小屋の提供者 渡辺勘右衛門
渡辺家は、江戸初期に伊勢国大鳥居より移住し葭原を開墾して、大薮新田十七石余りを岡田将監の正保検地で大藏入りをさせ笠松郡代役所の役人との縁組を結ぶほどになりました。
江戸時代の福束輪中は、いつも洪水で悩まされていました。水害歴は、元和二年(1616)の大榑川開削以降明治29年までの280年間に40数回に及び、数年に一度の水禍に遭遇しています。宝暦3年(1753)12月25日薩摩藩に命ぜられたお手伝い普請命令書により、薩摩藩は空前の大工事を覚悟することになったのです。この工事にあたって、渡辺勘右衛門家包に大役が命じられます。福束輪中の工区は三之手の区域に入り、出張小屋として提供したのが大薮村の庄屋渡辺勘右衛門で屋敷、家屋が当てられたのです。
渡辺家が提供した屋敷について記録には坪数1515坪、出小屋1ヶ所、青木次郎九郎御代官所、是は右勘右衛門屋敷并に居宅添家共御手伝役人相対を以って借受申候」とあります。実に広大な屋敷であったことが窺い知れます。
楡俣新田に、当時の渡辺家の屋敷があった土地52坪が町に寄付された事を記した石碑『寄付渡辺寿殿』と、大藪地区戦没者墓地がある。
勘右衛門の息子(渡辺寿)を、人物『乃木大将の副官を務めた陸軍中将 渡辺寿』で紹介してます。
渡辺家は、江戸初期に伊勢国大鳥居より移住し葭原を開墾して、大薮新田十七石余りを岡田将監の正保検地で大藏入りをさせ笠松郡代役所の役人との縁組を結ぶほどになりました。
江戸時代の福束輪中は、いつも洪水で悩まされていました。水害歴は、元和二年(1616)の大榑川開削以降明治29年までの280年間に40数回に及び、数年に一度の水禍に遭遇しています。宝暦3年(1753)12月25日薩摩藩に命ぜられたお手伝い普請命令書により、薩摩藩は空前の大工事を覚悟することになったのです。この工事にあたって、渡辺勘右衛門家包に大役が命じられます。福束輪中の工区は三之手の区域に入り、出張小屋として提供したのが大薮村の庄屋渡辺勘右衛門で屋敷、家屋が当てられたのです。
渡辺家が提供した屋敷について記録には坪数1515坪、出小屋1ヶ所、青木次郎九郎御代官所、是は右勘右衛門屋敷并に居宅添家共御手伝役人相対を以って借受申候」とあります。実に広大な屋敷であったことが窺い知れます。
楡俣新田に、当時の渡辺家の屋敷があった土地52坪が町に寄付された事を記した石碑『寄付渡辺寿殿』と、大藪地区戦没者墓地がある。
勘右衛門の息子(渡辺寿)を、人物『乃木大将の副官を務めた陸軍中将 渡辺寿』で紹介してます。
詳細情報
場所 | 輪之内町大藪 |
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連絡先 | TEL: FAX: |
所有者 | |
製作年代 | ~天明元年(1781)丑11月27日 |
撮影日 | 2011年10月26日 |
調査年月日 | |
経度 | 35.29693771669781 |
緯度 | 136.65428459644318 |
現在地からルート確認
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