人物・民話
やきもの界の巨匠 川瀬竹春 やきものかいのきょしょう かわせちくしゅん
対象物の特徴・来歴等
本名は川瀬五作といい、父浅次郎、母はまの三男として輪之内町里で生まれました。十三歳の時、陶芸の道を志し、瀬戸の加藤虎之助の所で修行をはじめました。師匠虎之助の死後、明治四十四年には三代清風与平氏の指導を受け、次いで大正四年からは初代三浦竹泉氏に師事して清水焼の奥義を学びました。竹泉亡き後、昭和六年には、京都五条坂に工房を築き、京都、大垣を往還しながら古陶磁器の研究並びに作陶を続けました。
昭和二十四年、京都の工房を引き揚げ、昭和二十八年には祥瑞の研究に没頭しました。
昭和三十五年大垣へ帰り、中国古陶磁の祥瑞、赤絵、金襴手の研究を積みながら西美濃の陶芸文化の振興に貢献しました。
陶歴七十年の間には、数々の褒賞や表彰を受けましたが、昭和三十年には無形文化財の記録作家となり、昭和三十五年皇太子浩宮ご誕生の際は仮宮殿東の間、応接室の宝飾品「香合一対」をご出生を寿ぐ意味から「祥瑞筋兜香合」を制作しました。
昭和四十一年秋の叙勲で紫綬褒章を受け、その後皇室御用が続いて石橋の間の花瓶一対、唐草地紋の瑠璃祥瑞花生の力作を納め、昭和四十六年十月、下田御用邸の落成時には、両殿下御用室用の花瓶一対の制作ご下命を受け、約半年の歳月を費やし、心血を注いで華生の大作「緑釉唐草文花生」を完成上納しています。この時は、その礼として、陛下から大杯一個と感謝状を賜りました。
令息の順一氏(二代目竹春)は「城山荘の思い出」の中で毎朝早起きし、筆をもち、好みの茶碗で一日三回お抹茶をたて、朝夕散歩をして、晩酌を楽しむのが終生欠くことのない日課だったと言われています。
参考文献:郷土の輝く先人 下巻
資料協力者(敬称略):近藤 勝美
昭和二十四年、京都の工房を引き揚げ、昭和二十八年には祥瑞の研究に没頭しました。
昭和三十五年大垣へ帰り、中国古陶磁の祥瑞、赤絵、金襴手の研究を積みながら西美濃の陶芸文化の振興に貢献しました。
陶歴七十年の間には、数々の褒賞や表彰を受けましたが、昭和三十年には無形文化財の記録作家となり、昭和三十五年皇太子浩宮ご誕生の際は仮宮殿東の間、応接室の宝飾品「香合一対」をご出生を寿ぐ意味から「祥瑞筋兜香合」を制作しました。
昭和四十一年秋の叙勲で紫綬褒章を受け、その後皇室御用が続いて石橋の間の花瓶一対、唐草地紋の瑠璃祥瑞花生の力作を納め、昭和四十六年十月、下田御用邸の落成時には、両殿下御用室用の花瓶一対の制作ご下命を受け、約半年の歳月を費やし、心血を注いで華生の大作「緑釉唐草文花生」を完成上納しています。この時は、その礼として、陛下から大杯一個と感謝状を賜りました。
令息の順一氏(二代目竹春)は「城山荘の思い出」の中で毎朝早起きし、筆をもち、好みの茶碗で一日三回お抹茶をたて、朝夕散歩をして、晩酌を楽しむのが終生欠くことのない日課だったと言われています。
参考文献:郷土の輝く先人 下巻
資料協力者(敬称略):近藤 勝美
詳細情報
場所 | 輪之内町福束里 |
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連絡先 | TEL: FAX: |
所有者 | |
製作年代 | 明治27年(1892)4月27日~昭和58年(1983)8月9日 享年93 |
撮影日 | 2011年10月21日 |
調査年月日 | |
経度 | 35.3012278 |
緯度 | 136.6262418 |
現在地からルート確認
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