人物・民話
濁流の人柱 舛屋伊兵衛 だくりゅうのしとばしら ますやいへえ
対象物の特徴・来歴等
舛屋伊兵衛は宝暦治水工事の際、ただ一人人柱となった人物。
養老郡多良の生まれで、領主高木内膳の下人となり江戸神田紺屋町に住んでいたが、宝暦4年(1754)高木内膳が薩摩藩による治水工事の工事監督になり、伊兵衛も一緒に美濃に帰ってきた。
そこで、大榑川洗堰工事の淒惨な難工事を目撃した伊兵衛は、『これは水神の怒りによるものだ。人柱となってその怒りを鎮めよう。』と濁流に身を投じた。
薩摩藩は伊兵衛の死を無駄にすることなく、難工事を完成させた。
円楽寺の慈賢和尚は、伊兵衛の墓を円楽寺につくり供養した。死没年月日は、幕府にはばかり工事竣工の翌日(宝暦5年3月29日)になっている。
伊兵衛の顕彰碑は大垣の本堂寺にある。
伊兵衛の墓がある『円楽寺』は、輪中文化財(信仰)で紹介してます。
参考文敵:木曽川文庫
養老郡多良の生まれで、領主高木内膳の下人となり江戸神田紺屋町に住んでいたが、宝暦4年(1754)高木内膳が薩摩藩による治水工事の工事監督になり、伊兵衛も一緒に美濃に帰ってきた。
そこで、大榑川洗堰工事の淒惨な難工事を目撃した伊兵衛は、『これは水神の怒りによるものだ。人柱となってその怒りを鎮めよう。』と濁流に身を投じた。
薩摩藩は伊兵衛の死を無駄にすることなく、難工事を完成させた。
円楽寺の慈賢和尚は、伊兵衛の墓を円楽寺につくり供養した。死没年月日は、幕府にはばかり工事竣工の翌日(宝暦5年3月29日)になっている。
伊兵衛の顕彰碑は大垣の本堂寺にある。
伊兵衛の墓がある『円楽寺』は、輪中文化財(信仰)で紹介してます。
参考文敵:木曽川文庫
詳細情報
場所 | 輪之内町大藪 |
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連絡先 | TEL: FAX: |
所有者 | |
製作年代 | ~宝暦5年3月29日 |
撮影日 | 2012年2月16日 |
調査年月日 | |
経度 | 35.29209739572262 |
緯度 | 136.6616177558899 |
現在地からルート確認
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