輪中文化財
大士山 江翁禅寺 たいしざん こうおうぜんじ
対象物の特徴・来歴等
江翁寺には数多くの史跡や伝説が残っています。
江翁寺は薩摩義士のお墓で有名ですが、江戸時代の水田開発にいち早く取り組んだ北村可長(よしなが)の遺言により、奥様によって建立されました。
江翁寺の名称は亡くなった北村可長の法名の2字(江翁道吸居士)をとって名付けられました。
※北村可長とは揖斐城の家老を辞した後、鳥やけもののすみかになっている葦原のこの地を約10年間かけて開墾し、稲田を開いた人です。北村可長と奥様と子孫の方のお墓もこの寺にあります。
6名の薩摩義士の墓、松尾芭蕉の句碑、勘右衛(カンネ)の石、清十郎稲荷などの遺跡があります。
薩摩義士の墓は大正13年に現在の場所に移動し日の目を見ました。
それまでは、この寺の檀家の方の墓の間にまぎれてありました。
因みに、割腹6名の義士戒名は次のようです。
海雲道巨信士
淡交如水居士
一雲清無居士
賀屋玄慶居士
月海澄舟居士
大方養安居士
江翁寺は、人物で紹介してます『薩摩義士の顕彰に尽くした禅師』・民話『力もち勘右衛』で紹介してます勘右衛(カンネ)の石があり・民話『平田靱負と篭屋徳兵衛』で紹介してます六名の薩摩義士の墓があるお寺です。
大東亜戦争の時、宝暦14年(1764)鋳造のつり鐘を供出した。
参考文献:輪之内町史
資料提供者・協力者(敬称略):江翁寺坊守・中西せい
江翁寺は薩摩義士のお墓で有名ですが、江戸時代の水田開発にいち早く取り組んだ北村可長(よしなが)の遺言により、奥様によって建立されました。
江翁寺の名称は亡くなった北村可長の法名の2字(江翁道吸居士)をとって名付けられました。
※北村可長とは揖斐城の家老を辞した後、鳥やけもののすみかになっている葦原のこの地を約10年間かけて開墾し、稲田を開いた人です。北村可長と奥様と子孫の方のお墓もこの寺にあります。
6名の薩摩義士の墓、松尾芭蕉の句碑、勘右衛(カンネ)の石、清十郎稲荷などの遺跡があります。
薩摩義士の墓は大正13年に現在の場所に移動し日の目を見ました。
それまでは、この寺の檀家の方の墓の間にまぎれてありました。
因みに、割腹6名の義士戒名は次のようです。
海雲道巨信士
淡交如水居士
一雲清無居士
賀屋玄慶居士
月海澄舟居士
大方養安居士
江翁寺は、人物で紹介してます『薩摩義士の顕彰に尽くした禅師』・民話『力もち勘右衛』で紹介してます勘右衛(カンネ)の石があり・民話『平田靱負と篭屋徳兵衛』で紹介してます六名の薩摩義士の墓があるお寺です。
大東亜戦争の時、宝暦14年(1764)鋳造のつり鐘を供出した。
参考文献:輪之内町史
資料提供者・協力者(敬称略):江翁寺坊守・中西せい
詳細情報
場所 | 楡俣新田410 |
---|---|
連絡先 | 0584-69-2151 |
所有者 | 宗教法人 大士山 江翁禅寺 |
製作年代 | 開創 承応三年(1654) 開山 天麟祖瑞和尚 開基 江翁道吸居士(北村可長) 本尊 聖観音 宗旨 臨済宗妙心寺派 |
撮影日 | 2011年3月29日 |
調査年月日 | 2011年3月29日 |
経度 | 35.29864741263413 |
緯度 | 136.65196180343628 |
現在地からルート確認
|